<今だから>読んでおきたい宮沢賢治  ⑤注文の多い料理店

<7日間ブックカバーチャレンジ>の変型版(⁉️)文豪・宮沢賢治の代表作について、あらすじと解説を記していきます✏️

この文章を記すに至った経緯は5/31の投稿をご覧くださいm(_ _)m
https://ruri-room.amebaownd.com/posts/8365001

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※青空文庫
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第四作目は『注文の多い料理店』から🍲😼

~注文の多い料理店~

 
☆あらすじ
 都会から山奥に狩猟にやって来た二人の青年紳士は、獲物を一つも得られないでいた。やがて山の空気はおどろおどろしさを増し、山の案内人が途中で姿を消し、連れていた猟犬が二匹とも恐ろしさに泡を吹いて死んでしまう。そのような中でも、彼らは「二千四百円の損害だ」、「二千八百円の損害だ」と、金銭的な損失だけを気にする。

 しかし、山の異様な雰囲気には気付いたらしく、宿へ戻ろうとするが、山には一層強い風が吹き、木々がざわめいて、帰り道を見つけることができない。

 途方に暮れたとき、青年たちは西洋風の一軒家を発見する。そこには「西洋料理店 山猫軒」と記されており、二人は安堵して店内へと入っていく。ところが、中は、奇妙な注文を記したいくつもの扉と長い廊下が続くばかりだった。やがて二人は「西洋料理店」とは、「来た客に西洋料理を食べさせる店」ではなく、「来た客を西洋料理として食ってしまう店」であることに気づく。

 気付くと、戻る扉は開かず、前の扉からは目玉が二つ、鍵穴からこちらを見つめている。あまりの恐ろしさに二人は身体が震え、何も言えず、ただただ泣き出してしまい、顔は紙くずのようにくしゃくしゃになってしまう。

 そのとき、後ろの扉を蹴破って、死んだはずの二匹の犬が現れ、先の扉に向かって突進していく。格闘するような物音が聞こえたあと、気付くと屋敷は跡形もなく消え、二人は寒風の中に服を失って立っているのに気付く。

 そこへ山の案内人が現れ、二人は宿へ戻り、やがて都会へと帰って行ったが、恐ろしさのあまりくしゃくしゃになった顔は、どうやっても元には戻らなかった。
 
☆作品解説
 童話『注文の多い料理店』は、『どんぐりと山猫』と同様に、1924年(大正13年)に出版された短編集『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』収められ、その3作目に位置する。

 この童話集には賢治自身の簡潔な解説があって、それによると、この『注文の多い料理店』は、「二人の青年紳士が猟に出て路に迷い『注文の多い料理店』に入りその途方もない経営者から却って注文されていたはなし。糧に乏しい村のこどもらが都会文明と放恣(勝手気まま)な階級とに対する止むに止まれない反感(不満)です」とある。

 「途方もない経営者」は、ここでは山猫のことである。つまり、山猫の経営する「山猫軒」で、つぎつぎ出てくるやかましい注文を、いちいち真に受けて、逆に料理され、危うく食われてしまいそうになる東京から来た二人の若い「紳士」が「都会文明と放恣な階級」の代表者たちである。

 そして「村のこどもら」の「反感」とは、その「都会文明」が、山猫という野性的な存在によってさんざんにからかわれることで表現され、その痛快さで、その「反感」は解放されるかたちをとっている。そして、そこには「糧に乏しい村のこどもら」になり変わった賢治の、「都会文明」に対する批判が込められているのである。

 二人の青年紳士が最後の段になって恐れおののき、顔をくしゃくしゃにして元に戻らなくなってしまうのは、自然を軽視する人間の傲慢さへの批判でもある。そして、それが、いったん死んでしまい、青年紳士が無情に見捨てたはずの犬によって救われるというのは、大いなる皮肉であるとも、冷淡な扱いを受けようとも救いの手を差し伸べる自然の懐の広さを体現しているとも考えられる。

 この童話は、巧みな構成により、はじめて読む子どもだけでなく、大人までもが、ドジな二人のハンターと一緒になって、料理店のトリックにまんまとはまり、それとは知らずに読み進めて行き、「二人ともぎょっと」する所で読者も気づいてぎょっとすることだろう。

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