<今だから>読んでおきたい宮沢賢治  ⑧(終)永訣の朝(『春と修羅』より)

<7日間ブックカバーチャレンジ>の変型版(⁉️)文豪・宮沢賢治の作品解説、最終回・第8回目は詩集『春と修羅』所収の詩の一つ、<永訣の朝>より📖

詩に続く【】内は<超訳>を記しています。

永訣の朝(『春と修羅』より)


超訳
 
きょうのうちに
【今日のうちに】
とおくへいってしまうわたくしのいもうとよ
【遠くに旅立ってしまう私の妹よ】
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
【みぞれが降って部屋の外はやけに明るいのだ】
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
【(賢治兄さん、どうか雨雪をとってきてください)】
うすあかくいっそう陰惨な雲から
【薄明るく一層陰惨な雲から】
みぞれはびちょびちょふってくる
【みぞれはびちょびちょ降ってくる】
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
【(賢治兄さん、どうか雨雪をとってきてください)】
青い蓴菜のもようのついた
【青い蓴菜の模様のついた】
これらふたつのかけた陶椀に
【これら二つの欠けた陶椀に】
おまえがたべるあめゆきをとろうとして
【おまえが食べる雨雪をとろうとして】
わたくしはまがったてっぽうだまのように
【私は曲った鉄砲玉のように】
このくらいみぞれのなかに飛びだした
【このように暗くみぞれが降る中を飛び出した】
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
【(賢治兄さん、どうか雨雪をとってきてください)】
蒼鉛いろの暗い雲から
【蒼鉛色の暗い雲から】
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
【みぞれはびちょびちょ沈んでくる】
ああとし子
【ああとし子】
死ぬといういまごろになって
【もうじき死ぬという今頃になって】
わたくしをいっしょうあかるくするために
【私の気持ちを一生明るくするために】
こんなさっぱりした雪のひとわんを
【こんなにさっぱりした雪のひと椀を】
おまえはわたくしにたのんだのだ
【おまえは私に頼んだのだ】
ありがとうわたくしのけなげないもうとよ
【ありがとう。私のけなげな妹よ】
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
【私もまっすぐに進んで行くから】
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
【(賢治兄さん、どうか雨雪をとってきてください)】
はげしいはげしい熱やあえぎのあいだから
【激しい激しい熱やあえぎの間から】
おまえはわたくしにたのんだのだ
【おまえは私に頼んだのだ】
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
【銀河や太陽、気圏などと呼ばれた広大な世界の】
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
【空から落ちた雪の最後のひと椀を……】
…ふたきれのみかげせきざいに
【…二きれの御影石の上に】
みぞれはさびしくたまってゐる
【みぞれは淋しくたまっている】
わたくしはそのうえにあぶなくたち
【私はその御影石の上に危うい姿勢で立ち】
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
【雪と水から成る真っ白な二つの相をたもち】
すきとおるつめたい雫にみちた
【透き通る冷たい雫に満ちた】
このつややかな松のえだから
【このつややかな松の枝から】
わたくしのやさしいいもうとの
【私の優しい妹の】
さいごのたべものをもらっていこう
【最期の食べ物をもらって行こう】
わたしたちがいっしょにそだってきたあいだ
【私たちが一緒に育ってきた間】
みなれたちゃわんのこの藍のもようにも
【見慣れた茶碗のこの藍の模様にも】
もうきょうおまえはわかれてしまう
【もう今日、お前は別れてしまう】
(Ora Orade Shitori egumo)
【(私は私で独りで逝きます)】
ほんとうにきょうおまえはわかれてしまう
【本当に今日、お前は別れてしまう】
あああのとざされた病室の
【ああ、あの閉ざされた病室の】
くらいびょうぶやかやのなかに
【暗い屏風やかやの中に】
やさしくあおじろく燃えている
【優しく青白く今にも消え入りそうな命を燃やしている】
わたくしのけなげないもうとよ
【私のけなげな妹よ】
この雪はどこをえらぼうにも
【この雪はどこを選ぼうにも】
あんまりどこもまっしろなのだ
【あまりにもどこも真っ白なのだ】
あんなおそろしいみだれたそらから
【あんなにも恐ろしい乱れた空から】
このうつくしい雪がきたのだ
【この美しい雪が降ってきたのだ】
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
【(また人として生まれてくる時には
こんなに自分のことばかりで
苦しまないように生まれてきます)】
おまえがたべるこのふたわんのゆきに
【おまえが食べるこの二椀の雪に】
わたくしはいまこころからいのる
【私は今、心から祈る】
どうかこれが天上のアイスクリームになって
【どうかこれが天上のアイスクリームになって】
おまえとみんなとに聖い資糧をもたらすように
【おまえとすべての人に尊い糧をもたらすように】
わたくしのすべてのさいはいをかけてねがう
【私の全ての幸を懸けて願う】
 
作品解説

 『春と修羅』の第1集に収められている「永訣の朝」は、24歳の若さで病死した妹トシの死に際して「松の針」「無声慟哭」と共に作られた3部作の1つである。2歳違いのトシは賢治のよき理解者で、彼女が亡くなった時の悲しみは深く、賢治は押入れに顔を入れて「とし子、とし子」と号泣したという。
 本作では、作者の悲しみが、極めて純粋な形で、ひたむきに迫ってくる。妹は死の床で熱にあえいでいる。外では「蒼鉛色の暗い雲から」みぞれが「びちょびちょ沈んでくる」。詩人は「まがったてっぽうだまのように/このくらいみぞれのなかに飛びだした」。詩人は御影石の上に危なく立ち、「雪と水とのまっしろな二相系をたも」つみぞれを、妹が使い慣れた陶椀にすくう。この作品の透明な美しさは、悲しみの純粋さによると同時に、妹に対する愛のひたむきさ、また、妹が雨雪をとってきて下さいとたのんだことを、「わたくしをいっしょうあかるくするため」だと受け取る作者と妹との心の細やかな交流の優しさによるものである。

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