<今だから>読んでおきたい宮沢賢治 ②銀河鉄道の夜
本日より、宮沢賢治の代表作について、あらすじと解説を記していきたいと思います✏️
この度この文章を記すに至った経緯は5/31の投稿をご覧ください。
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※青空文庫
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第一作目は『銀河鉄道の夜』から🌌🚂
~銀河鉄道の夜~
☆あらすじ
銀河系の仕組みについての授業の中で、天の川について先生に質問されたジョバンニは、答えを知りつつ答えることができない。次に指されたカムパネルラも、答えない。
学校を終えたジョバンニは、活版所で活字拾いのアルバイトをする。漁に出て連絡が途絶えている父のため、病気の母を抱えて朝も午後もアルバイトに追われ、みんなと親しく交わることもできずにいる。周囲の大人たちの態度も冷ややかである。
仕事を終えたジョバンニは、パンと角砂糖を買って家へ急ぐ。銀河のお祭りのこの夜、配達されなかった母の牛乳の問い合わせをして祭を見に行くが、帰らない父を種に子どもたちにはやしたてられ、逃げるように天気輪の柱の丘に向かう。
悲しい気持で空を見上げていると、突然、耳に「銀河ステーション」というアナウンスが響き、目の前が強い光に包まれ、気がつくと銀河鉄道に乗っている。見るとカムパネルラも乗っていた。ジョバンニはカムパネルラと一緒に、いつの間にかポケットに入っていた不思議な切符を持って銀河を旅することになる。
北十字とプリオシン海岸からのサウザンクロスまでの間に大学士、鳥捕り、燈台看守、幼い姉弟、青年といった様々な人々と出会い、別れながら、諸々の心の体験をして「ほんとうの幸(さいわい)」を求める決意をするが、空の石炭袋が見えるあたりで突然カムパネルラがいなくなってしまう。
夢から覚めて、牛乳屋で牛乳を受け取り、大通りを行くと、カムパネルラが、川に落ちたザネリを救った後、溺れて行方不明になっている。のどがつまった何も言えないジョバンニに、カムパネルラの父(博士)は、もうすぐジョバンニの父が帰ってくる手紙が来たと告げる。ジョバンニはまだ暖かい牛乳と父の知らせを持って一目散に母の待つ家に向かうのだった。
☆作品解説
『銀河鉄道の夜』は大正13年(1924年)から書き始められたとされるが、作者逝去のため未完となった作品である。あまりに有名な本作はこれまで数度にわたり映画化やアニメ化、演劇化されたほか、プラネタリウム番組なども作られている。猫のキャラクターのアニメで知ったという読者も多いのではないだろうか。
作品の成立については、原稿に記されたインクや鉛筆による加筆や訂正のあと、ページ番号などから1次稿から4次稿まで存在するとされ、一般に読まれているのは第4次稿である。
賢治は推敲魔で、作品に何度も手入れをする傾向があったと言われるが、病床にあった賢治が枕もとに置いて推敲に推敲を重ねていたのが、この『銀河鉄道の夜』である。ここでは一般に読まれている第4次稿ついて主に述べることにしたい。
みんなと親しく交わることができずにいる少年ジョバンニは、周りから疎外され、あたかも幽霊のような存在として描かれている。銀河のお祭りの夜、居場所を失い、孤独をかみしめながら登った天気輪の丘で、銀河鉄道に乗り込み、親友カムパネルラと銀河めぐりの旅をしばし楽しむ。
旅の終わりにジョバンニはカムパネルラに、どこまでも一緒だと誓うが、カムパネルラは消えてしまう。悲しみのうちに目覚めたジョバンニは、まもなくカムパネルラが命を犠牲にして同級生ザネリを救った事実を知る。
銀河鉄道で遭遇したカムパネルラの様子が「ぬれたようにまっ黒な上着を着た」、「少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいというふう」といったように本文で表現されるのは、現実のカムパネルラの死の状況と符合すると考えられる。
そして、親友を喪失したジョバンニは銀河鉄道の旅が何を意味していたのかに気づき、「ほんとうの幸(さいわい)」を求めて、これからは独りで歩まなければならないことを悟り、使命感と不安を抱くのである。
一方で、連絡が途絶えていた父が間もなく帰ってくることを知らされ、勇気づけられる。こうしてジョバンニは銀河のお祭りの夜、幽霊のようであった自分と決別して、母の待つ家に戻るのである。
なお、本作の第3次稿までは、銀河鉄道の旅はブルカニロ博士という人物の実験により主人公が見た夢だったとされており、結末も異なっている。第4次稿と比較して読んでみると、よりこの作品の幅が実感できることと思う。
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