<今だから>読んでおきたい宮沢賢治  ③風の又三郎

文豪・宮沢賢治の代表作について、あらすじと解説を記していきます✏️

この文章を記すに至った経緯は5/31の投稿をご覧くださいm(_ _)m
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第二作目は『風の又三郎』から👨🌀

~風の又三郎~

☆あらすじ
 谷川の岸の小さな小学校に、夏休みが明けた風の強い日、不思議な少年・高田三郎が転校してくる所で物語が始まる。

9月1日(木曜):夏休み明けた風の強い日、山あいの小さな学校(分教場)に変わった姿の転校生高田三郎が現れた。みんなは彼を伝説の風の神・風の又三郎だと思う。

9月2日(金曜):三郎は、授業中に佐太郎が妹の鉛筆を取って泣かせているのを見て、一本だけの鉛筆を佐太郎に与える。

9月4日(日曜):みんなで高原へ遊びに行き、競馬遊びをしているうちに馬が牧場の柵から逃げてしまう。逃げた馬を追った嘉助は、深い霧の中で迷って昏倒し、三郎がガラスのマントを着て空を飛ぶ姿を見る。夢から覚めた後、嘉助はやっと馬を捕まえ、一郎らに助けられる。

9月6日(火曜):みんなと一緒にブドウを採りに出かけた三郎は、たばこ畑の葉をむしってみんなの非難を浴びる。また風は世界に不要だという耕助と言い争いをするが、最後には仲直りをする。

9月7日(水曜):みんなは川へ泳ぎに行き、大人の発破漁に遭遇する。また、川で洋服の人をたばこの専売局の人と思い、三郎を囲んで守る。

9月8日(木曜):川で鬼ごっこをして遊ぶが、夢中で遊んでいるうちに天候が急変する。だれかが「風はどっこどっこ又三郎」などと三郎をはやしたて、皆がそれに加わる。三郎は血相を変え、ふるえながら追求するが、「そでない」と全員知らんふりをする。

9月12日(月曜):一郎は三郎から聞いた風の歌の夢を見て飛び起きる。台風で荒れ狂う朝、一郎と嘉助は三郎との別れを予感し、早めに登校する。そして、先生から三郎が前日に転校して学校から去ったことを知らされるのだった。
 
☆作品解説
 『風の又三郎』は、賢治が亡くなった翌年(1934年)に発表された作品である。賢治の地元である岩手県や新潟県など複数の地方において、風の神を「風の三郎様」と呼んで祭礼を行う風習があり、この風習が本作のベースとなっている。

 物語が始まる9月1日は、二百十日(にひゃくとおか)と呼ばれ、この頃、東北では風が荒れて農作物が被害を受けることが多いと言われ、風の神様をなだめる日としている地方が多いとされ、その成り行きで、嘉助は転校生の三郎を「風の又三郎」と呼ぶのである。

 三郎が転校してきた初日、先生は「じきみんなとお友だちになりますから」と三郎の父に告げる。以後、三郎が「お友だち」になることが物語の一つの目標となる。

 三郎は、転校生であること、服装や言葉遣い、身体様式(泳ぎ方)、知識(競馬、春日明神、風力)、行為(たばこの葉事件)、さらには又三郎伝承を適用されることによっても、明らかに他の子ども達と異質な存在である。

 村の子ども達はそんな三郎の異様な言動に戸惑いながらも放課後や日曜の遊びを通して親交を深めてゆく。しかし、子ども達は、利発で力もある三郎に魅かれながらも、最後には村の子達だけで結束して三郎を疎外してしまう。それからふっつりと三郎との交流が途絶え、永久に遊ぶ機会を失ってしまう。嘉助は、三郎が去ったことを知らされた時、三郎の正体は、やはり伝説の「風の又三郎」だったと結論づけて物語が終了する。

 三郎は単なる転校生だったという説、風の又三郎が化けていたという説のほか、よそ者である三郎に又三郎が憑依していたなどの説があるが、賢治は彼の正体を分からずじまいで終わらせている。

 本作は賢治の他の作品に比較して幻想的要素が希薄で著しく現実的で、子供たちの遊びの描写を通して、現実世界と土着的信仰との間で揺れる子供特有の精神世界が鮮やかに描き出されているのである。

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